私たちが接するクラシック音楽にはダンス音楽がたくさん含まれています。ワルツ、メヌエット、ガヴォット、ポロネーズ、マズルカ…。いつ、どこで、誰が、どのように踊っていたのでしょうか?

 これらは、拍子やリズム、テンポが異なるだけでなく、それぞれ独自の歴史と個性を持っています。それらを知ること、または踊りを体験することは、楽譜を読むだけではわかりにくい内在する特徴を知る手掛かりになります。その中で特にバロック時代のダンスは後世に大きな影響を与えました。

 近年日本でもバロックダンスの存在を知る人が増えてきて、少しずつ興味を持たれるようになってきましたが、当時の様子はまだまだ知られていません。ここでは数回にわたってバロックダンスの歴史や特徴などを、皆様にご紹介したいと思います。

イアサント・リゴー画のルイ14世、妻はスペイン王フェリペ4世の娘マリー・テレーズ(マリア・テレサ)。ブルボン朝最盛期の王
 
 バロックとは17〜18世紀にかけてのヨーロッパでの装飾豊かな芸術の様式を指し、この時代の音楽を「バロック音楽」、そしてダンスを「バロックダンス」と呼びます。17世紀のフランスでは中央集権化が進み、国王ルイ14世の政治体制は「絶対王政」と呼ばれました。フランスの人口の約4%である王侯貴族が社会の中心となって贅沢で華やかな宮廷生活を送り、芸術はその生活を彩るものとして発展しました。

 音楽もダンスも貴族の生活に欠かせないものとなっていたのです。社交界の催しとして頻繁に行われていたのが音楽会や舞踏会ですが、貴族や富裕層の人たちは、それらを鑑賞するだけでなく参加して演じることも出来なければならなかったので、人前で披露できるだけの教養や技術が必要とされました。このような家柄に生まれた人たちは幼いときからずっとレッスンを受けていたのです。特にルイ14世は踊りが好きで、毎日ダンスのレッスンを欠かさなかったと言われ、舞踏会だけでなく度々バレエにも出演して踊っていました。彼はその趣味を共有できる人を贔屓にしたので、踊りが上手な人は出世し、下手な家臣は地方へ左遷される事もありました。

 こんな状況だったので、人々は熱心に踊りの練習を行いました。その結果、フランスのダンスのレベルはヨーロッパ随一と賞賛されるまでになったのです。ルイ14世はこのダンスをより良く普及させるために1661年に王立舞踏アカデミーを設立し、舞踏の理論・技術を高め舞踏教師の育成を図りました。

 このアカデミーで確立された様式はフランスのみならず、ヨーロッパ各国の宮廷でも規範とされ、フランスの舞踏教師はひっぱりだこになりました。舞踏用語は各地でフランス語が使われるようになり、メヌエットやガヴォットなどのフランスの踊りが各国へ波及していきました。バッハの曲集でも知られるこれらの踊りも、もともとはフランスのダンスなのです。

 フランスのバロックダンスを知ることは、バロック時代の舞曲を知る大きな手がかりとなります。次回はバロック時代の舞踏会の様子について触れたいと思います。

 ヨーロッパの舞踏会といえば、大広間で何十組もの男女のペアが向き合って肩に手を回して組み、クルクル回りながら楽しそうに踊る、と思われがちですが、バロック時代は違います。時代によって舞踏会のスタイルが異なるからです。当時は大きく分けて「フォーマルな舞踏会」と「仮面舞踏会」の2種類がありました。仮面舞踏会では出席者が仮面をつけて顔を隠したり、変装や仮装をして自分の身分を隠して色んな人と楽しく踊ったのですが、フォーマルな舞踏会は細かいルールにのっとって身分の高い順番から行われました。その中でも特に厳粛な舞踏会として位置づけられていたのが「王の大舞踏会(グラン・バル)」です。このグラン・バルやフォーマルな舞踏会の様子を知る重要な手掛かりの一つに、ピエール・ラモーPierre Rameau(1674-1748)の著作があります。ラモーは舞踏教師として活躍しましたが、1725年に著書を2冊出版しています。「舞踏教師Le Maître à danser」と「新メソードの要約Abbregé de la Nouvelle Methode(1725)」です。「新メソードの要約」では舞踏譜の新しい記譜の仕方を説明していますが、「舞踏教師」では踊りに関すること様々を説明しています。第1章~第15章では立ち方、歩き方、足のポジション、男性の帽子の取り方、男女別のお辞儀の仕方を説明し、第16章で国王ルイ14世(1634~1715)時代の王の大舞踏会について説明しています。では、その舞踏会の様子をご紹介しましょう。(以下はラモーの原文の和訳そのままではありません。加筆・補足・省略などしています。図も加筆しています。)

<王の大舞踏会(グラン・バル)>
宮廷の集まりでは、身分の順番に席や位置が決まっていて、高位者の場所の中央奥には一番身分の高い出席者の椅子がある。グラン・バルでは王の座る椅子であり天蓋(てんがい)がついている(図1の上部)。その向かい側の低い衝立のある場所(図1の下部)の内側に座っているのは、舞踏の音楽を演奏する音楽家たちである。
「王の大舞踏会に参加を許されているのは王家の血を引く王子や王女、次に公爵、公爵夫人、その他の宮廷の貴族たちが身分の高い順に続く。女性は前に座り、男性は後ろに位置しているが、ここではわかりやすくするために男性を立たせて書いている(図1の左右)。

図1


 王が舞踏会を始める合図として立ち上がると、出席者全員が同じように立ち上がる。王が王妃を伴って踊りをスタートする位置である演奏家の近くへ移動する。王妃が欠席のときは第一王女が王のパートナーを務める。国王夫妻に続き王太子夫妻、王弟夫妻が並び、そのあとを他の王子・王女などが続き列になる。ペアの立ち位置は決まっていて、男性が左、その右側にパートナーの女性がたつ。全員でおじぎをしたら、国王夫妻を先頭に一列でブランルBranle(*1)が踊られる(図2の中央)。1回目の曲が終わると国王夫妻は列の一番後ろに移動し、新しく先頭になった王太子夫妻を先頭に再びブランルが踊られる。この2回目が終わると王太子夫妻は列の一番後ろに移動し、王弟夫妻を先頭に3回目のブランルを踊る。これを繰り返して再び国王夫妻が先頭に戻ると、今度はガヴォットGavotte(*2)を踊り始める。1回目が終わるとブランルと同じように国王夫妻が列の最後に移動して再びガヴォットを踊り、国王夫妻が先頭に戻るまでガヴォットを続ける。終わると全員でおじぎをする。

図2


 この次がペアダンスを踊る時間である。一組ずつ踊るがその順序は次のように行われる。
初めのペアダンスとして以前はクーラントCourante(*3)が踊られていた。ルイ14世は誰よりも上手にクーラントを踊ったと言われているが、最近(1725年当時)はクーラントではなくメヌエットMenuet(*4)が踊られる。国王はメヌエットを王妃と1曲踊ったら自分の席に戻り、そして出席者も座る。なぜなら国王が踊っている間は全員が立っていないといけないからである。王が着席すると、次に踊る王子が王へ深々とお辞儀をしたあと王妃のところへ行き、お互いお辞儀をする。王妃と王子もメヌエットを踊る。終わったら王子は王妃に深々とお辞儀をする。王妃が自分で席に戻り、王子は次に踊ることになっている王女(または他の女性)に3~4歩近づき踊りに誘う。二人揃って1.2(図1内の番号参照)の場所で王へ腰を低くお辞儀した後、少し後ろへ下がって3,4、(図1内の番号参照)の場所で踊りの前に行うお辞儀をする。二人でメヌエットを踊り、終わったらいつものようにお辞儀する。王子は王女にお辞儀をして自分の席に戻る。王女は次に踊ることになっている王子を誘う。このようにしてパートナーを交代しながらペアダンスは最後まで続けられる。王が別のダンスを見たくなったときは第1寝室係(*5)が王の意向を皆に発表するが、お辞儀の順ややり方は同じである。」

ラモーは第17章で「フォーマルな舞踏会」の説明もしています。「王の大舞踏会」とは異なる方法で行われますので、次回はそちらもご紹介いたしましょう。

*1 ブランル  
 複数の人数で手を繋いで輪になって踊るダンス。16世紀から流行し、2拍子系、3拍子系、6拍子系など様々な音楽で踊る。各地方の特徴ある動きや日常生活・動物を模したジェスチャー等を取り入れるなど楽しい雰囲気で幅広い年齢層に踊られた。17世紀になるとフォーマルな雰囲気を持つようになる。

*2 ガヴォット
 元はフランスの民族舞踏。跳躍が多く2拍子系の音楽で踊る。16世紀のダンス教本にも紹介されているが、17世紀には宮廷で踊られるようになった。オペラやバレエの中でも踊られた。

*3 クーラント
 16世紀にイタリアで流行していた速く活発な3拍子の踊りコレンテCorrenteがフランスに伝わり、クーラントと呼ばれるようになった。17世紀に入ってから踊りの特徴がフランスで変化し、つま先で床を滑らせるような動きと、床からあまり離れない程度の柔らかな跳躍を組み合わせて、2分の3拍子の音楽で踊るようになる。威厳ある雰囲気で最高格の踊りとなり宮廷舞踏会の初めのペアダンス数多く踊られたが、17世紀末に舞踏会のレパートリーから姿を消す。

*4 メヌエット
 1660年代からフランスの宮廷舞踏の仲間入りをし、格式高いダンスとして流行した。17世紀末にクーラントが宮廷舞踏会のレパートリーから姿を消すと第2位だったメヌエットは最高格のダンスとなり、その後、長年その地位を維持した。基本は4分の3拍子だがフレーズの取り方に特徴がある。宮廷舞踏会の初めのペアダンスとしての定形の踊り方があり、ラモーは第22章でその順序を説明している。この踊り方はヨーロッパ各国でも規範とされていたので、多少の違いはあるが、スペイン、ドイツ、イギリス等でもメヌエットの踊り方を説明した舞踏教本が出版されていた。長年踊られたので、時代と共に少しずつステップや踊り方が変化している。またメヌエットは宮廷舞踏会のみならずオペラやバレエなど舞台作品でも踊られたので、様々なタイプのメヌエットが存在する。

*5 第1寝室係
 王の寝室に入室を許されている高位貴族の称号と考えられている。

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